プロフィル
—前原ヤス子—どうしても看護を基礎から学びたかった—50歳の看護学生として今春准看学院を卒業
吉
pp.525
発行日 1977年5月1日
Published Date 1977/5/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661918153
- 有料閲覧
- 文献概要
零下40度にもなる寒い満州の陸軍病院で看護の仕事を始めたのは20歳の時.終戦を病院で迎えたとき,ソ連との国境から引き揚げてきた開拓団の人たちの,あまりにも悲惨な姿を目にし‘人が生きることは大変だ,なんとか人を生かしたい’と思い続け,看護の仕事をずっと続けるようになったという.
引き揚げて東京・足立区の柳原病院に看護助手として勤務するうちに,地域での医療の貧困さに直面し,ほんとうの看護は何かと悩みながら,どうしてもいい看護をしたい,そのためにも基礎看護を学んでみようという気になった.‘助手のときは,人の倍くらい神経を使ってやっていたんですが,私の思ったとおりの看護を思いっきりやりたい,ほんとうに患者のためになる看護をやりたいと思って,50の手習いを始めたんです’
Copyright © 1977, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.