看護管理・22
看護学院から総婦長に期待するもの—卒業生をこう受けとめてほしい
鈴木 美恵子
1
1慈恵高等看護学院
pp.86-87
発行日 1973年10月1日
Published Date 1973/10/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541205138
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看護教員は臨床を知らないという批判
よく学院の先生は‘臨床を知らない’とか‘臨床看護をもっと理解すべきだ’とかいったことばを耳にします.臨床看護を知らずに,現に行なわれている看護の‘実体’を考えずに教育が行なわれているとすれば,それこそ地に足がつかない,やたらと理想を追い,理論のみをふりまわし,批判はするけれども具体的には,ろくろくケアもできない看護婦を育ててしまうことになるでしょうから,もっともな話だと思います.そして確かに近ごろは急速に看護学院が増設・拡大されてきておりますので,臨床経験の乏しい教員がふえたことも事実のようです.いくら教育が,かくありたい姿,建前を教えるのだといっても,現場というものをより把握し,現に行なわれている看護の実体を理解するよう努力しなければならないと思います.
しかしこの‘臨床を知らない’という言葉のなかには,少々違ったニュアンスがあるというのです.それは先のことがらとは違った,現実の看護要員の不足からくる繁雑さのなかに,多くの看護学生の臨床実習を受け入れさせられて繁雑さが煩雑に変わるその‘苦労’‘たいへんさ’をわかってほしい,理解すべきだということのようです.こまごまとしたことは別としても,看護婦不足,とりわけ指導者の不足,忙しい業務を痛いほど知らされています.なればこそ,看護教員はジレンマに苦しみ,悩んでいるのです.
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