グラフ
心待ちにされるヘルパーの訪問—荒川村ホームヘルパー星さんの一日
pp.438-443
発行日 1977年5月1日
Published Date 1977/5/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661918139
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今から2000年ほど前,崇神天皇の代に国造(くにのみやつこ)として知々夫彦命が派遣されて以後,この地方は‘知々夫国’と呼ばれるようになった.‘知々夫’が‘秩父’と改められたのは,朝廷に知々夫から銅が献上され,年号が和銅と改められた和銅6年(713)の勅命によっている.
荒川村は,昭和18年,当時の国策によって中川村と白川村が合併して生まれたもので,面積4743km2,人口約6000(昭和45年),荒川の源流に近い溪谷ぞいの山間にある村である.そしてこの村にも過疎の波は押し寄せ,昭和25年6567人だった人口は6000人にまで落ち込み,一方,60歳以上の老齢人口は同635人から840人へと増加している.
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