続MSWの目
荒涼とした原っぱに建つバラック
中島 さつき
pp.64
発行日 1970年9月1日
Published Date 1970/9/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661915014
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大東京の南端,東京湾に面した埋立地に○○町という所がある。戦争中,国鉄の操車用地に予定されたまま終戦となり,一面よしにおおわれた荒漠たるこの土地に,バタヤのための厚生施設が建ってから,しだいに人が出入りするようになった。附近の空地に目をつけたバタヤの親分が,ばたばたとバラックを建てて住みつくようになり,かれらは「働らく者求む,住居つき夫婦者歓迎」の貼紙でたくさんの人を集めたので,人口はまたたく間にふくれ上っていった。
K夫妻も九州で生活に追いつめられ一家4人で上京,新橋で途方にくれていたとき「住居つき」の条件に,一も二もなくとびついてきた家族である。仕切場に隣接した二畳間は風が吹けば附近からまい上がる紙屑の山と,もうもうたる砂塵でおおわれ,まるで「ごみのなかに生きている」ようなものだ。長女T子(3歳)が湿性肋膜炎と両側股脱のため,保健婦が訪問するようになったが,治療しようとせず,医療扶助の申請をすすめても福祉事務所に行った様子もない。事情をきくと親方の番頭格のA氏にすべてまかせてあるといい.訪問するといつもA氏が出てきて,家族に口をきかせぬようにしゃべりまくるので,家族の気持もわからず,手をやいているから援助してほしいと,MSWの茂呂ミヱ子さんにバトンが渡された。
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