病院史のひとこま
医療ソーシャルワーカー—‘一粒の麦’が播かれたころ
中島 さつき
1
1兵庫医科大学病院医療社会福祉部
pp.69
発行日 1973年4月1日
Published Date 1973/4/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541204966
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GHQ,保健所に医療社会事業係設置
医療社会事業という仕事が日本にとりいれられてからもう25年たった.終戦当時の日本国民は食糧難,住宅難,生活難にさらされ,敗戦の悲惨きわまりない状態の中にあった.病人は巷にあふれ,しかも緊急入院を必要とする患者は累積するのに,収容するベッドはみつからず,医療費の捻出も困難なままであった.
このような状態の中でGHQ公衆衛生福祉局のサムス準将が,日本の保健所に医療社会事業係をおくように示唆し,全国のモデル保健所であった杉並保健所(現在:杉並西)に医療社会事業係がおかれたのが,昭和23年3月であった.これを契機として全国のA級保健所に1人ずつ採用するようにすすめ,また日本赤十字社,済生会の各病院,国立結核療養所,国立国府台病院(精神)にも配置されるようになった.しかし医療社会事業家といわれていたこれらの担当者たちは,医療社会事業についての基礎知識も訓練の機会もなく孤独であった.
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