グラフ
風致地区に市民病院が建つ
pp.495-502
発行日 1961年7月1日
Published Date 1961/7/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541201815
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市民病院が計画されるとき,旧来の病院開設者は,人家密集の市街地を選定して,庶民の便を図った.なるほど,病院通いには便利であり敷居も高くない方がよいとして,街路に直接に玄関が設けられて,庶民の味方のつもりになっていた.旧式な日本病院思想は,ドイツ語でKranken Hausといいながらもこのような病院を創造して,病院が「患者の家」であることを見おとしていた.
横浜市衛生当局は,市内保地ケ谷三ツ沢風致地区に市民病院が建てて,旧来の病院観に革新の涼風を送った.不便な土地に外来患者が集まるかしら,と言えば,病院の使命は入院施で,一般外来は付け足りだと市当局は答えたという.まことにわが意を得た.
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