東西南北
理解
唐 十郎
1
,
渡辺 博
2
,
渡辺 澄子
3
,
浜本 幸之
4
1状況劇場
2電通PRセンター・パブリシティ局
3日本近代文学研究所
4東京スピーチクリニック
pp.9
発行日 1970年3月1日
Published Date 1970/3/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661914796
- 有料閲覧
- 文献概要
「ムンクの絵に何かにおののいて耳をふさぎ,暗い洞のような口をあけている男の絵がある。男の背後には,港の,永遠につづく夜の海が構えている。彼は今,世界に起こった何ごとかに対して認識不能に陥り,一生そのままのかっこうでたたずんでいなければならないかのようだ。だから,彼はどこの何がしというよりも,認識不能の何ものかにとりつかれた木の洞そのものといってもいいだろう。目の前にあるものの様相を確かめる認識の器というものは,人が生まれてすぐ在るというようなものではない。その器自体の中にまだ未熟なもの,理解しがたい傷などがあって,それがまた,時間の中で呼気と吸気の自律運動をくり返している。認識しようと挑みかかる前に,このようにして,私たちの意識の流れが怪物のようなモノであったりするので,敢えて認識せんとする視線は,知的な腕力を具えていなければ,逆に世界のうわっつらをすべりつづけるだけだ。
Copyright © 1970, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.