歴史の女性
与謝野 晶子—歌に生き恋に生き
福地 重孝
1
1和洋女子大
pp.104-105
発行日 1965年11月1日
Published Date 1965/11/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661913791
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晶子と鉄幹
1932年(昭和7)の上海事変のとき,日本軍にとって最も苦しい戦の一つに廟行鎮の攻撃戦があった。中国軍は深さ4mにわたる鉄条網をはりめぐらして,わが軍の前進をはばんでいた。その鉄条網を破壊して突破前進するために,久留米の工兵隊が,爆薬筒をだいて伍体もろとも鉄条網めがかけてとびこみ,進軍の突破口をひらいた。作江,北川,江下の三勇士が誉たかき「肉弾三勇士」として,その壮烈な行為が忠勇美談として銃後につたえられた。新聞社は,「肉弾三勇士」を讃えるための懸賞歌を募集し,それに当選したのが,興謝野晶子の夫,与謝野鉄幹(寛)であった。文句は忘れてしまったが,力強い荘重な歌詞で国民の志気を鼓舞したことを思い出す。それは虎の鉄幹晩年のことであり,日本軍国主義の高揚期のことであった。
こんなことを冒頭に書いたのは,彼の妻,晶子が,日露戦争のとき,旅順口包囲戦にある弟の壽三郎を欺いて「ああおとうとよ,君を泣く,君死にたまうことなかれ」と,一詩をうたひ,当時問題になった。この二つの記憶が重なりあって筆者の頭に浮んでくるからである。
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