歴史の女性
紫式部—平安朝の才女
大野 昌彦
1
1和洋女子大学史学
pp.108-109
発行日 1965年10月1日
Published Date 1965/10/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661913763
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藤原道長と式部の父為時
次にかかげる2首の和歌をくらべていただきたい。(1)は式部がひそかにあくがれ,源氏物語の中心人物,光源氏のモデルにしたといわれている人の作であり,(2)は学者,詩人であって,式部に幼時から教育をほどこした人のものである。(1)「この世をば我が世とぞ思ふ望月のかけたることもなしと思へば」(2)「われひとり眺むと思ひし山里に思ふことなき月もすみけり」。
(1)はいうまでもなく,藤原道長の著名な歌,(2)は式部の父,為時の歌なのである。巧拙は問わないにしても,同時代に同じように月を詠んでどうしてこうもちがうのであろうか。当時,道長は3人の娘を次々と后の位につけ,その腹に生まれた後一条天皇とその皇太子(のちの後朱雀天皇)の祖父として,権勢を一手におさめていた。彼がつくらせた法成寺は豪華絢燗をきわめ,極楽浄土のようであったといわれている。一方,為時には次のような逸話が伝えられている。一条天皇のとき,大国の越前守にあきができた。為時とある男が争い,相手の男がこの勝負に勝った。為時は下国の淡路守に任ぜられることになったので,彼はさる女房を介して,哀訴の申し文を天子に上進した。道長のはからいがあって,ようやく望みがかなえられたという話である。
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