想園
ゆく年くる年/社会の中の看護婦
坪井 洋子
1
,
綱村 郷子
1京都中央郵便局付属診療所
pp.69-71
発行日 1965年1月1日
Published Date 1965/1/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661913482
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月並なことばであるが,月日のたっのは本当に早いものだと思う。年令の気になる頃になるとなおさらかも知れない。例年のことながら,12月がくると,今年もおわりだナという感慨と,また一つ年をとるのかという,うんざりしたような気持が入りまじって,なんともいえない複雑な感がする。今年1年をふりかえるような余裕もなく,あわただしい勤務におわれて1日を送る。お正月を喜ぶ年も,もう遠い昔のことになりまた来年からの勤務のこと,病院でさびしくお正月を過す患者のことへと飛ぶ。
私たち,看護婦というものの宿命かも知れないが,せめてもうすこし落着いた気持でゆく年を送りたいと思い,毎年大晦日がくるたびに「来年こそは」と皆で話し合うが,さて12月に入るとそんなことなど,どこかへ吹き飛んでしまい,やっと落着いたと思うともう年が明けているという次第である。
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