ものがたり・日本の医学・事始・5
松本 順
しまね きよし
1
1“思想の科学”
pp.93-95
発行日 1967年5月1日
Published Date 1967/5/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661913151
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■シーボルトの指導で発展した日本の蘭学
文政12年(1828年)に,それまで西洋の学問を長崎の鳴滝塾で教えていたシーボルトは,国法にそむく外国人ということで本国オランダに送り返された。シーボルトは医者であると同時に,広く自然科学の知識を身につけた一流のインテリゲンチァーであった。日本における蘭学は,このシーボルトの指導によって,飛躍的な発展をとげた。
シーボルトがふたたび来日したのは,安政6年(1859年)であった。本国へ送り返されてから,30年の年月が経過した。このとき,日本の蘭学はシーボルトの水準をはるかに超えた段階に到達していた。箕作秋坪は武谷椋亭に送った手紙に,シーボルトは「格別之事は無之趣に存候,段々評判もよろしからず候」と書き,加藤弘之はシーボルトの本草学も医学も「決して該博にてはなく」と語っている。
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