日本看護史の旅
横浜軍陣病院のあと
石原 明
1
1横浜市大
pp.1
発行日 1966年3月1日
Published Date 1966/3/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661912651
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慶応4年(1868)春,政権を天皇に返した徳川将軍の処置に,不平をとなえる旧幕府の人たちは反乱の気配をみせた。そこで官軍がさしむけられ,有栖川宮(ありすがわのみや)を総督とする征討軍は江戸に向い,横浜を基地とするため神奈川奉行の意向をただした。奉行は世界大勢に通じていたので,幕府役人ではあるが無条件で協力することを約した。その結果,病院を設置するため洲千弁天(しゆうかんべんてん)境内の語学所と,野毛山の寺小屋修文館の建物を提供した。4月17日に開設した横浜軍陣病院は英国軍医のウイルスが主任となり,女の看護人を雇い入れて傷病兵を看護した。日本最初の職業看護婦である。病院のあとは国電桜木町駅前と,野毛山動物園入口の老松中学校にあたる。老松中学の地は明治5年に官民合同の近代的病院となり関東大震災まで存続した。今の横浜市大医学部病院の前身である。
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