表紙の心・13
軍陣外科の巨星ラレーの像
大村 敏郎
1,2
1川崎市立井田病院外科
2慶応義塾大学医史学
pp.60
発行日 1989年1月20日
Published Date 1989/1/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1407210260
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パリのセーヌ川左岸を南へ向うサン・ミシェル大通りと並んで南へ下る道にサン・ジャック通りというのがある.大して見映えのしない道だが,その道が遠くローマ時代から存在するという歴史の長さと共に,行きつく先はポルトガルのサン・チャゴ・デ・コンポステラへの巡礼道であったと聞くとスケールの大きさにうならざるを得なくなる.
起点からいくらも歩かないうちに,道の東側に突然視野がひらけ,格子越しに美しいドームが姿を見せる.ヴァル・ド・グラス(Val de Grâce)である.古くは修道院として,1795年からは軍事病院として歴史や秘話を沢山持っている建物である.ここで子宝祈願をしたルイ13世の妃が38歳の高齢初産で産んだのがルイ14世であるし,写真のドミニク・ジャン・ラレー(Dominique JeanLarrey,1766〜1842)はナポレオンの首席外科医としてほとんどの戦役に従軍しすばらしい手腕を発揮した.それで軍の病院のドームの前に像があるのである.
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