特集 看護婦の勤務と生活の合理化
第4部 生活を豊かにするために
看護婦と信仰
佐古 純一郎
pp.183-184
発行日 1961年6月15日
Published Date 1961/6/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661912580
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1.
わたしは中学3年のときに,生きるか死ぬの大患にかかつたことがあります。横隔膜膿炎とかいう病名で,珍らしい病気だつたのだそうです。そんなことはどうでもよいことですが,そのために2カ月ばかり入院生活を送つたわけですが,そのときに世話をしてくれた看護婦さんで,忘れられない人があるのです。べつにロマンスめいたことがあつて,それで忘れられないのではないのです。
その看護婦さんがクリスチャンであつたということは,あとのほうになつてわかつたことなのですが,それでわたしに合点のいくことがいくつかあるのです。そのときのわたし自身は,まだクリスチャンでも何でもなかつたのですが,それでも,人生について,死について,真剣に考えたりしていたのです。ところで,その看護婦さんが忘れられないというのは,彼女が部屋に入つて来てくれると,それだけで何かしら,病人であるわたしの心の世界に,光がさしこんでくるように思われて,生にたいするほのかな希望といつたものを感じさせてくれるのでした。
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