患者と私 患者に接して40年・1
臨終と信仰
桂 重次
1
1東北大学
pp.1454-1455
発行日 1965年10月20日
Published Date 1965/10/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1407203794
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40年の臨床生活で一番印象深いことは何といつても手術の結果が悪く,あるいは診断がおくれて手の施しようもなく患者が死亡する場合である.患者の死期が明らかにわかつておつても,これを患者に最後まで知らせないでおくということは問題である.
自分は金沢大学外科に勤務しているさい,暁烏敏師に叱かられたことがある.海外留学を終えて昭和13年に金沢大学外科に赴任したばかりの時であるが,1等室に入院している女の患者で胃癌の人が居つた.私の赴任前に助教授に手術を受け胃切除不能としてそのまま試験開腹に終つた人である.回診の度に「私の胃癌は十分手術できたのでしようか」ときく,外からもはつきり腫瘤が触れるのであるし,「すでに手術の時期を失して胃切除はできなかつたそうです」と真相を告げると,「2,3日外泊させて頂きたい.暁鳥敏師の所へ行つて御話を伺い死に対する心構えをしたいのです」という,その後3泊位で患者は帰院したが打つて変つた安心しきつた顔貌で「お陰様でこれで安堵して死ねます」といつた.その後間もなく退院し数ヵ月後に安らかに死んで行つたと聞いた.
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