海外の看護
アメリカにおける看護研究の動向—ドクター・ブラウンのこと
浅田 美智子
1
1東京大学医学部衛生看護学科
pp.46-49
発行日 1963年6月1日
Published Date 1963/6/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661911951
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ドクター・ブラウンはすらりと背の高い,碧い澄んだ目の印象的な美しい婦人である。彼女との面会の数日前,私は彼女についての予備知識を得るため大学の図書館に行って,彼女の経歴,業績などに関する資料を漁ってみた。
それによるとミス・ブラウンはイリノイ州Peoriaのメソジスト病院看護学校の卒業生で,その後同じくイリノイ州のEureka大学で社会学を学びB. Aの学位を,さらに看護教育の分野でB. S. をとった。その後ミネアポリスにあるミネソタ大学で公衆衛生学および小児衛生と児童福祉の分野でM. S. の学位をうけた。そして1960年の6月「プエルト・リコ生まれの婦人—そのマタニティ・ケアーの型の変遷」という論文によってニューヨーク大学からPh. D. の学位をうけた。またW. H. Oの海外コンサルタントとしてインドのデリー,英領ホンジュラスのベリーゼなどの各地で活躍された方であることがわかった。彼女のこの輝やかしい経歴と業績だけをみた人は誰でもきっとファイトのかたまりのような女丈夫を連想するのではなかろうか。しかし私の受けた第一印象は,やさしく謙虚で物静かな,それでいて内に看護に対する激しい情熱を秘めた方,ということであった。私は幸いにも米国滞在中数多くの看護界の指導的立場にある方々に会う機会に恵まれたが,なかでも最も印象的で感銘をうけたのはこの方であった。
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