随筆
血のかよった看護
仲林 喜蔵
1
1三重県庁医務課
pp.62-63
発行日 1962年12月1日
Published Date 1962/12/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661911804
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吉野山へ行った時のことであった。蔵王堂で案内人の説明をきいていると,木造では東大寺に次ぐ大建築であるとか,役の行者が山嶽仏教を修験してここに蔵王権現を召祀したとか,建築の中の名木には,つつじの柱,桜の柱,梨の柱などがこれこれだなどといろいろ興味深い印象をうけたのである。けれどもそれにも増して感じたのは同行人である同僚のことばであった。それは「私は神や仏の前へ行った時は,必ずお詣りする。何の神とか何の仏というのではない。ただそうしたとき拝礼するわずかな時間ではあるが,体中の欲気で消散して自分にもこうした人間らしさがあるのかと気づくのである。自我を没却して自分を見つめる機会を与えられるのが神仏にぬかづく時とありがたく思われるのである」というのであった。
私は私とさして年令的な差のない同僚のことばをききながら,何か知らない霊気に魅せらたのであった。
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