余白のつぶやき・23
モーロー主義
べっしょ ちえこ
pp.709
発行日 1981年6月1日
Published Date 1981/6/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661919273
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ヨーロッパでもアメリカでも、そして日本でも、死の問題に対する関心が急激に高まってきているようだ.人間は,「性」についで、ついに「死」をも明るみにひっぱり出しはじめた。ただしこの場合の「死」は、あくまでも個人レベルでの死であって,戦争や貧困や飢餓などによってもたらされる社会的な死のことではない.つまり、社会が改善されればこうむることのない「死」ではなく、一人一人が存在の宿命として逃れようもなくその肉体に孕んでいるところの「死」のことである.老い、そして病.
思えば、社会的な死が蔓延していた時代には、老いや病による自然死はこれほど強く人々に意識されなかった.戦争中あるいは戦後の飢餓時代、あんなにも死が身辺にゴロゴロしていたのに、個人としての死の恐怖はかえうて薄かったように思う.曲がりなりにも平和が続き生活が安定してきたためか、あらためて人は自分の足元を見つめるようになった.足の下にあるのは、たえずさらさらと崩れていく、不条理という名の頼りない砂ばかり。そこで卒然と死の想念にとりつかれはじめた、ということだろうか.
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