特集 戦後十年最近の医学と看護はどう変つたか?
看護制度のあゆみ
金子 光
pp.14-21
発行日 1955年10月15日
Published Date 1955/10/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661909924
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焼野原に石を拾い,瓦を片づけ焼けトタンで仮小屋をたて,黙々としていた昭和21年の春,いち早く朝日新聞西部本社は,西日本保健婦大会というのを福岡で開いて,沈み勝ちなナースの心をもやしてくれました。東京からはその頃既にGHQが活動していたので,サムス准将の代りにウエーバー大佐,看護課長のオルト大尉が出席された。九州各県からは保健婦を中心に,衞生部長達も其の他の公衆衞生関係者も集り,広い公会堂を埋めました。其の時私はオルトさんの通訳を仰せつかつたわけですが,話の内容は忘れてしまいましたけれど,ただ一つはつきり脳裡に刻みこまれた事があります。「それは今回の悲慘な戦争によつて世界は多くの生命を無駄に失つた。殊た日本は最もそれが大きい。併し日本にとつて知つた更に大きな事実は,日本は,戦争による死よりも,はるかに無意味に多数の不必要な死亡をつくつているということである。
而もそれらの殆んどは予防可能の疾病によるものである。これはひとえに,公衆衛生に従事する人の怠慢特に医師と保健婦が国民を熱心に教育しなかつたためである。責任はあなた方にあると思う」ということであつて,私はかつてアメリカに於ける公衆衛生の成功が,一にも,二にも,そして三にも国民に対する衛生教育の徹底の賜物だときいていたので,このオルトさんの言葉は鋭く胸にさされ,その叱責ももつともであると肯定していました。
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