発行日 1953年10月15日
Published Date 1953/10/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661909431
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普仏戦爭が終結した1871年の春クララは眼病を患いしばらく眼帶をかけていなくてはなりませんでした。戦爭中クララは1日に5時間位しか睡眠をとることができなかつたのです。そうした無理がたたつて終戦と共にクララは病める人になつてしまつたのです。それを聞いたロンドンの知友シェルドン夫妻は,ドイツに留まることはクララの健康によくないと考え,一先ず温いイタリアで,靜養させ,次いでロンドンの邸宅にクララを引きとりました。普仏戦爭従軍中クララと行動を共にしたアントアネット・マァゴがロンドンまで附いて来て看病に当つてくれました。
1872年の冬には,例のクリミア戦爭の女神フローレンス・ナイチンゲールもロンドンにいたのですが,お互に病床に在つたので,このヨーロツパとアメリカの2人の偉大な戦場の天使は相会うことがなくて過ぎてしまいました。シェルドン夫妻の厚遇によつて健康を恢復したクララは1873年10月マァゴをお伴にして5年ぶりに祖国アメリカに帰りました。クララはバーデン大公から賜つた金の十字章,大公妃ルイーズから賜つた世界で一番立派だと言われる紫水晶の飾り,セルビアの皇后から贈られた宝石,ドイツ皇帝から賜つた鉄十字章等,数々の名誉と光栄をお土産にして帰つて来たのです。
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