発行日 1953年8月15日
Published Date 1953/8/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661909387
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わが国で最も早く看護婦養成がはじめられた学校の1つに京都の同志社がある。同志社時代以来,今日まで看護婦,助産婦の養成と指導に献身的努力をされてきた佐伯理一郞先生が去る5月30日に京都でなくなられた。先生は今年93才。看護教育に関係されたのは明治20年頃からであるから,まさに半世紀以上をこの道と共に歩んでこられたのである。同志社看護婦養成学校は有名な新島襄(ニイジマユズル)によつて,明治18年にキリスト教主義により京都に設立され,病院長のベリーJ.Berryの監督下に,米人リンダ・リチャーズM.Linda Richards女史が主となつて開校されたが,佐伯先生はまもなく産科学の講義を担当され,明治33年から佐伯先生が主任となつて,明治39年廢校となるまでナイチンゲール式教育による関西随一の看護教育施設として輝かしい足跡を残した。同志社病院廢止の後も自力で教育を続けられ今日もなおその施設は続いている。一方,先生は京都産院を経営,助産婦の教育と向上にも盡力され,明治28年には「普通看病学」と「戦時平時救急看護法」の2書を訳出された。ともに明治時代中期の代表的看護書で広く用いられた。
先生の学問に対する熱心さは実にすばらしいもので,明治23年に日本医学会総会がはじめて開かれて以来,1昨年の第13回総会まで毎回皆出席という記録をもつておられた。
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