學園の頁
桐の花咲く學園伊達赤十字高等看護學院
長屋 エリ子
pp.37-40
発行日 1952年10月15日
Published Date 1952/10/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661907155
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教育とは一體何んでありましようか。
技術であるには違いありませんが,技術だけではどうにもなりません。教育の最後の鍵をにぎるものはやはり愛だと思うのです。學生を愛するということは,學生を知るということだからです。技術の未熟な私達がこの樣なことを云うのは一寸おかしいのですが愛こそすべてを解決するものであることを,どうしても叫ばずにはいられないのです。學生の成績が惡いという前に學生と共に,机を並べて勉強してあげる努力を,私達は惜しんではいないでしようか。學生と共に唱い,共にボールを投げる。
學生の故郷の思い出をしみじみと聽いてあげる一夜を持つ,專任教員が學生と共にそうしないならば—學生は自分に近ずく他の者達とスポーツを樂しみ,また故郷を語り合うより他ないではありませんか。學生に溶けいることの出來ない専任教員は,學生に對する他職員の影響を云々したり,學生が他と交渉を持つ事を極度に嫌つたりするのではないかと,私達には思われてなりません。何故なら,學生と共に生活する時,學生は私達の影響を受けこそすれ,他からの影響など受けよう隙がないのです。又受けたとしてもそれは,私達とともどもに受けるのです。この樣な愛の絆はしかつめらしく學生をとりまく規則やお小言の鐡壁より遙かに堅固なものであることは事實です。私達教務はこうした一貫した主張で學生と接して來ました。
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