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入院隨想
副山 ハル
pp.30-35
発行日 1951年5月15日
Published Date 1951/5/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661906855
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私はこの年令になるまで,まるで,馬車馬のように,兒童の保育と取つ組んで來ました。私は自ら自分は保育以外のことに對してはまるで常識不足の人間だと認識しています。その私が生れて始めての手術と,餘儀ない病院生活を經驗したのです。今まで知らなかつた新らしい世界で眼に寫つたこと,心に感じたことは,醫學と看護にまるで素人の私には全く珍らしいことばかりでした。看護の御專門の方は私のこの感想を如何お感じ下さるでしようか。私は保母を指導する立場のものですが,時々保育に對するずぶの素人の方から,保育界や保母に對する感想を承つて,度々非常に興味深く感じますが,自分の恥をさらしつつこの一文を看護婦の方々に贈ります。
YMCAの光靜枝先生が乳癌のためアメリカで御永眠なさつたことを新聞で拝見したのがきつかけで,しこりがあつて,時々放射線状に非常に痛む,左の乳が氣になりはじめ,診察して頂いたら思いがけなく先生と同じに乳癌らしいとの診斷を受け,家族の1人である甥の家内がお産を濟ますのを待つて入院したのが2月3日でした。出産後6日目の産婦は家政婦に頼んで,私は自分自身で手廻り品を揃え,ふとんを包み,タクシーを頼みに行き,1人で入院したのでありました。さてこう書きますと「乳癌です。手術をなさい」と云われ「はい」と直ぐ入院したようですが,そうではありません。
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