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きさらぎ隨想
長谷川 紅蓉
pp.59
発行日 1954年2月1日
Published Date 1954/2/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611200552
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- 文献概要
いけばなは法則にとらわれないで自個の主観を悠々と表現するべく自由に植物の形状を生れ変らせるものであるという事は前々から申上げておりますが,いけばなは最初"美しい植物をめでる心"から始つたといわれております.徳川の初期にいけばなとしての形や約束が整うまでは,各自がその美しさを純粋に思うがままに表現していたらしいのです.その道の上手といわれた先人達の観点や感覚の相違が各流派の創立となり,又研究の結果,記録が門外不出の伝書とか,他見不許の秘伝となつて今日まで伝わつておりますがこれ等も如何に珍しいもの,新しいものの発見に先人達が競つていたかがわかります.それが何時の頃からか表皮的な姿や技巧にのみ重きをおき,これに儒教の影響までしみこみ徒らにむずかしい規則にしばられ自由を失つてしまいましたが,もつともこれはその時代の社会の影響を受けていてその時代ではこれが最も新しい感覚であつたのでしよう.又,わび,さびだけの世界を尊び,世捨人的な逃避こそ最高な境地だと自らをせまい分野にとじこめてしまつた事が喜ばれた時代もあり,これも亦その時代には一番新しいスタイルであつたのかもしれません.時代の変遷につれていけばなも変り続けて現在に及んだのですが,その時代の要求を無視したのでは決して魅力のあるものは生れ出ないのです.
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