わがteen age・4
わがteen age
村岡 キク
1
1鐵道病院
pp.49-51
発行日 1951年4月15日
Published Date 1951/4/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661906840
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私が小學校5年生の時,青森に大火がありました。とにかくものすごい火で,父母は私と赤ン坊を連れて,お鍋にお米を入れただけで町から半里ばかりの川岸に逃げて參りました。橋の上から燒けている町を見ていますと,川向うの遊廊がまだどんどんもえている中に何か白いものがたくさん動いているのが見えました。何だろうと一生懸命見ていましたらそれは青森市立病院の看護婦さん達が救助に當つていたのでした。12歳の私はずい分大變だナア,勇しいものだナアと思いました。その後姉が看護婦さんの歌をおぼえて來て「ほずつのひゞき遠ざかる。あとには虫も聲たてず,吹き立つ風はなまぐさく,くれないそめし草のいろ」というのを歌つたり,皇后陛下が包帶をまかれるというような話を聞いたりした。その時すでに看護婦を心ざしたわけではありませんが,まあ看護婦というものに對する認識を得たといゝましようか。
小學校を出て師範の附屬,補修科2年の時に友達が遊びに來て,看護婦の試驗を受けないかという話をしました。それで願書を出したのですが,その頃の事とて警察から家へ調べに行つたりして母が大分心配しました。とにかく一應試驗を受けてからと受験いたしましたが,私は病氣など全然しなかつたので,身体檢査で看護婦さんが口をギユツと結んで,どんどん帶をとかせ,醫者に診てもらつた時は,何だかとても恥しくて嫌でした。
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