わがteen age・2
看護婦以前
古屋 かのえ
1
1國立東一附屬高等看護學院
pp.35-39
発行日 1951年1月15日
Published Date 1951/1/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661906783
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いやどうも年をとりました。「十代」が問題になるようになれば,人間も骨董的價値を認められて來た證據です。
此の間,都内の或新制高校の文藝雜誌で「十代」というのを拝見しました。學生自治會の機關雜誌名を,あれこれと考えて手傳つた後でしたので,いい題だなあ,センスがないと一寸思いつくまい,等と感心したことでしたが,扨自分の鼻先に指さされて「あなたの十代」と言われると,すつかりあわててしまつて,私にも十代があつたのかな?と,明治の終り近い頃山梨の一寒村に呱呱の聲をあげてからの年數をよくよく數えてみれば,本當に私ももう初老に手が届くというわけです。そこで私の十代と申しますと,21歳まで學校に行つていましたから,丁度小學校の末期(56年生)から學徒時代一ぱいということになります。年代で言えば第一次世界大戰後の大正末期(10年以降)から,満洲事變の始る昭和の初期にかけての10年間で,24歳の老生徒として看護婦の養成所に入つた私の十代は看護婦の世界には何のかかわりもなかつたわけでございます。(編集者は,ナーンダ,ソンナラ意味ナイ,とがつかりされたかも知れません)それにしましてもまあこの10年間は,第一次世界大戰の後をうけて,世界は平和の爲に不和會議だの,國際聯盟だの,軍備縮小だの,不戰條約だのと,あらゆる努力を拂つていた時ですのに,そうした世界情勢の中にあつて日本は,國家主義へ,軍國主義へと歩みをつづけていたわけでした。
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