発行日 1950年11月15日
Published Date 1950/11/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661906738
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大阪阪急沿線花屋敷の停留場から東南約5分の桃林内に日本のナイチンゲール像“救苦觀音菩薩”がある。このたび大阪日赤病院が中心となり,こゝに日本全國のナースの物故者をまつり,またこの地にナースのための諸施設を整備しようとする運動が起り,その具體化に乘り出した。
この救苦觀音菩薩の開眼は昭和11年11月のこと。この觀音の建立には次のような話が秘められている。大阪赤十字病院の原守藏院長の話によるとこうだ。この銅像の建立者は岡山縣で中山學校主として名高い中山通幽師である。同師が直腸癌で長らく大阪赤十字支部病院で治療を受けて死去したが,苦惱の長い病床にある間の唯一の慰めと希望は看護婦のあたたかい看護であつた。同師はナースの始祖がフロレンス・ナイチンゲールであることを知り,看護婦への感謝の念がナイチンゲール像建立の念願となつた。この銅像は英國のナイチンゲールホームの一室にあるスクタリの病院で夜々患者をみまわつたランプを手にするナイチンゲールを模したもので,台石には「救苦觀音菩薩」の文字が刻まれている。場所は同師を圍む修養道場花屋敷がトされ,中山氏の歿後は在阪の弟子たちによつて仕事が引きつがれ,台石の下には建立に盡力した人人が紀州那智瀧や四天王寺の佛水で淨書した萬卷の寫經がおさめられている。
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