発行日 1947年7月15日
Published Date 1947/7/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661906214
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菊池氏の所説(五號掲載)を要約してみますと民主々義とは眞の意味でのブルジヨア自由主義であり,その内容として財産權の確立を中心として人權の尊重個性の解放營業移轉の自由,政治や宗教の自由を意味し,又政治的には狹義の民主々義,經濟的には能率的な自由競走,精神的には個人主義の三者をひつくるめたものともいつてゐます。そしてそれと資本主義との關係については民主々義は資本主義の大地の上にこそ花咲き榮えてきたものと云はれ,社會主義に對しては必然的なものでなく一種の近代的な煽動術だとし全く民主々義と異質なものであつて官僚生義と血縁關係に在りその施策は日本經濟の再建民主々義化に有害として排斥され,日本の現下の任務はブルジヨア,デモクラシーの完成にあるのであつて,日本の從來の「わるさ」は資本主義自體のものでなく封建的なものが殘つてゐたからとし,封建的遺制の最大のものは現在の官僚制度だと説かれて居られるやうであります。日本が當面爲さねばならないのは近代化である事,隨つてそのデモクラシーは先づ所謂ブルジユア,デモクラシーである事は今日恐らく大方の識者の論異のない處で私も菊池氏と同じ考へです。而しその近代化民主化の過程をば將來に對するどのやうな展望の下に遂行するかは重要な事だと思ひます。
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