看護学講座
講師室から
日野原 重明
pp.27
発行日 1947年7月15日
Published Date 1947/7/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661906215
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戰爭中は何處の國でも戰爭に必要な特殊の研究以外は殆ど停止し,戰地に兵隊を送るために學生の教育も中斷し,又は短く切上げられたのです。教育に最も關心をもつて來たアメリカでも,戰爭が終つた今日,醫學生の,又は醫者の素質がひどく低下したことこ氣付いて,彼等の再教育に大童になつてゐるそうである。アメリカの有名な醫科大學の一つであるJohn Hopkins. 大學について調べると戰爭中は職員の1/3が學校を離れて軍務につき,醫學生についても4ヶ年の大學教育の期間が3ヶ年に短縮され,實習もかけ足で行はれたのです。我國の醫學教育はもつと短期間に又大ざつぱになされ,中學を出た後,本當に教育をうけたのは正味3年位で醫者となり,然も非常に澤山の醫者が製造されたのです。又看護婦については國民學校卒業位の學力の者が,僅か3ヶ月位の講習で免許證をもらつたのです。こうしたことを考えると,日本の將來を背負つて立つ若い醫者,看護婦の再教育と,新にこの途に進まんとする人をどう教育するかゞ大きな問題となり,厚生省,文部省その他各專門家がその對策を考えて之を實行しようとしてゐるのです。之が1日でも遲れると,新しい日本の基礎がなかなか出來ず,將來への影響はひどく大きいのです。いくら龜のようなテンポの遲いものでも,居眠りする兎より速く目的地に達すると云う話を私達は忘れてはならないのです。戰爭の虚脱から1日でも早く立上ることが大切なのです。
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