現場から 調査・研究
熊本地方の「のさり」をとおして障害を包み込む文化を考察する
竹熊 千晶
1
,
日高 艶子
1
1九州看護福祉大学看護学科
pp.294-295
発行日 2001年3月1日
Published Date 2001/3/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661906019
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古来,日本では,未熟児や障害児をフクコ(福子),タカラゴ(宝子),フクスケ(福助)などと呼び,そうした者がいる家は栄え,幸せがあると考えられてきた話が数多く存在する.逆に地域社会の存続のために自然淘汰という形で遺棄されたり,社会的制裁として排除された事実も認められる.こうした伝承をどう考えるかは一概には言いきれないが,現代において弱者といわれる病人や障害者がふつうに生きていけるためには,国の政策,社会の制度,リハビリテーション医療が確立していくと同時に,1人ひとりの人間の価値や運命についての認識,解釈の仕方が重要な影響を与えると思われる.看護は,特定の文化の(つまり地域のものの見方を含めた)なかでの,生活史を踏まえた個々のニーズに対するケアが必要だとしながら,果たしてそのことに真剣に目を向け具体的な方策を検討してきたといえるだろうか.
われわれの住む熊本地方では,家族のなかで障害や介護の発生した状況を,介護者が「私の『のさり』だもん」と表現することがある.「のさり」とは,「分け前がある」「ありつく」「分配にあずかる」などを意味する熊本・大分地方の方言であるが,それが転じて「幸運に恵まれる」「恵み」と転化し,慢性疾患を持つ老人自身が口にしたりすることも多い.
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