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気分次第読み放題・9
『ジョージア・オキーフ崇高なるアメリカ精神の肖像』—(ローリー・ライル著・道下匡子訳,1984)
横井 郁子
1
1東京医科歯科大学
pp.872-873
発行日 1999年9月1日
Published Date 1999/9/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661905931
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わがまましたくなったとき
多くの場合,「わがまま」は批判的に使われる.チームワークを求められる看護の仕事に「わがまま」な人はこ遠慮願いたいものだ.しかし,周囲の意に反してでも自分の思いを通すこと,それを「わがまま」というならば,批判ばかりできないと思う.逆にそこまでこだわれる自分をみつけていると,少しうらやましくもなる.年齢を重ねるにつれ,余裕が増すどころか,我慢ならぬということが増えてきてしまった.このことを,自分の望むことがようやく明確になってきたと素直に受け止めたいが,単に歳をとって心の許容量が減ってしまっただけのようにも思え,心中複雑である.
米国を代表する画家ジョージア・オキーフ(1887-1986)は,1915年27歳のときに自分を発見している.昼間は大学で教鞭をとり,夜は絵を描くという生活をしていたとき,自分のために,自分を喜ばすために描いたことがないということに気づく.そして誰とも違う自分の考えが自分の頭の中にあることを認識する.このときからオキーフは「本当に自分が描きたいものだけを描く」ことを決心し,画家ジョージア・オキーフとして歩みはじめる.このときから,筋金入りの「わがまま」がはじまるのである.
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