カラーグラビア 彩色医療図絵
忍性の肖像
石原 明
1
1横浜市立大学医学部
pp.5
発行日 1971年6月1日
Published Date 1971/6/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661916045
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忍性(にんしょう、1216〜1303)大和国の出身で仏門に入り良觀房と称した。奈良の西大寺で修行していたころ、師の教えをうけて大規模な慈善事業をはじめた。弘安6年(1283)の流行病のときには、多くの僧を集めて患者を治療し、あるときには1万8千人ものライ患者を収容して看護につくした。
奈良の北のほとりに“北山十八間戸”というライ患者専用の病室を設け、大坂(いまでは大阪と記す)の四天王寺の寺務を司るようになってから聖徳太子の偉業をしのんで社会事業につくした。後年、関東に下り鎌倉で大きな社会事業をおこした。鎌倉幕府の要人の支援をえて、極楽寺を創建しついで北条時宗の援助によって“桑が谷療病所”を開き、20年のあいだ約6万人におよぶ患者を収容した。
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