研究と報告
『大地』における痴呆性老人—幸福なボケ方
高橋 正雄
1
,
松田 修
2
1筑波大学心身障害学系
2東京学芸大学教育学部
pp.398-401
発行日 1998年4月1日
Published Date 1998/4/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661905578
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はじめに
文学作品に描かれた老人の中には,普通の老人と言うよりは,痴呆性老人をモデルにしたのではないかと思われる人物がいる.そういう老人の場合,周囲の人々は痴呆と意識しないで接していることも多いのだが,こうした作品を見ていると,時代や社会によって痴呆への対処のしかたが異なるのみならず,そうした対応の違いによって,痴呆性老人の示す症状そのものが違ってくるのではないかと感じることがある.そしてそれは,異文化間における痴呆の病像の相違を示唆するとともに,いわば「幸福なボケ方」のヒントを示しているようでもある.筆者は以前本欄で,「不幸なボケ方」の例として,『リア王』における痴呆性老人への対応を論じたことがあるが3),本稿では,辛亥革命前後の中国社会を描いたパール・バックの『大地』第2部(1931)1)における王龍の父親に焦点をあてて,痴呆性老人に対する望ましい対応のあり方について考えてみたい.
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