連載 道拓かれて—戦後看護史に見る人・技術・制度・11
外来に看護はあるのかを問い続けて50年
川島 みどり
1
1健和会臨床看護学研究所
pp.1074-1077
発行日 1997年11月1日
Published Date 1997/11/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661905471
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はじめに
1958(昭和33)年9月,産休明けで出勤したこずえを待っていたのは,外来への配置転換であった.まだはっきりと意識化はされていなかったものの,こずえ自身のなかに,専門職としての看護婦の自負心は少なからずあった.出産をしても退職せず,夫も育児の負担を分かつことを約束してくれたからには,腰を落ち着けて看護に専念する決意を堅くした.
その日,月足らずの低体重で生まれた長男を近所の嫂に預け,やや悲壮感を持ちつつ出勤しただけに,突然の勤務交代を素直に聞けなかった.さりとて正面切って「いや」な理由を部長に述べる勇気もなかった,上意下達の根強い風潮が残されていた時代である.当惑し沈黙しているこずえに,看護部長はこう言った.「外来は病院の玄関だから大切ですよ。何と言ったって第一印象ですからね」そして「夜勤はあっても病棟に較べたらうんと少ないから赤ちゃん持ちのあなたにはちょうどいいでしょ」とも.
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