連載 買いたい新書
—アーサー・クラインマン著/江口重幸他訳—病いの語り—慢性の病いをめぐる臨床人類学
田代 順
1
1文教大学短期大学部
pp.796-797
発行日 1997年8月1日
Published Date 1997/8/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661905414
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- 文献概要
病いを「患う」という体験への人類学的研究と省察個々人の「病気体験」の意味/質と「医療」の文脈をめぐって
評者は,最近いわゆるJ-Pop(日本語によるロックやポップス)を寝る前のひとときに,ヘッドホンでじっくり味わって聴いている(ちなみに良く聴くのは,今井美樹の初期やスピッツ,それから'70年代から'90年代初頭までのユーミンとかである).そして,その歌詞をその時々の自分を包む「状況と関係」(たとえば,失恋直後とかうんと好きな人がいて,心から片想いしているときとか,そんないろいろな気持ちに彩られた状況や関係)にリンクさせつつ/意味づけしつつ聴いたりもする.
さて,唐突に聞こえるかもしれないが,人間にとって,この「音楽を聴くという体験」と「病いを患うという体験」は,本質的に同様な体験である.さらにいえば,個々人が日々生きていく中で体験することと,「病いを患うという体験」も,また本質的に同様な体験である.なぜなら,それらの「出来事/経験」は,結果としてどちらも個々人それぞれが,それぞれの状況と関係の文脈にさらされて意味づけし,体験化するものだからである.その1つひとつの「出来事/経験」の1つを語ってもらえば(たとえ似たような出来事/経験でも)百人百色の「意味づけ」とその結果形成される「思い」が,それぞれの「語り」に展開するであろう.
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