グラビア この時この一葉
マスコミの活用—看護が“女性”であった時代
山根 信子
1
1看護史研究会
pp.102-103
発行日 2000年2月1日
Published Date 2000/2/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661903392
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1969年1月,日本看護協会は第1回「国民の健康を守る看護大会」を開催した.当時,看護婦不足の深刻化からニッパチ闘争(夜勤は月8日以内,2名で勤務という労働条件実現を求める運動)が全国的に広がっていた.こうした待遇の改善を実現するためには,社会のなかでの看護の位置づけを確固たるものにする必要があり,同大会もそうしたねらいから,「病気の看護から健康への看護」へと,変容していく看護の現状を全国民にアピールしたのである.
左ページの写真は,同じ年の3月に放送のNHK「こんにちは奥さん」に看護職が出演したときの記念写真である.この当時,テレビには「水銀中毒」「ヒ素ミルク事件」など,国民の健康を脅かすニュースがあふれており,国民の健康への関心は高まっていた.そうした関心の高まりのなか,看護職たちは深刻な看護婦不足を,マスコミを通じて訴えたのである.これほど多数の看護職がマスコミを通じて看護の問題を訴えたのははじめてのことであった.
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