My Point of View
「ラマーズ法を教えるのは誰か」
水口 きせこ
1
1帝京大学
pp.1055-1060
発行日 1984年12月25日
Published Date 1984/12/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611206567
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そもそも,ラマーズ法が臨床的に日本に導入されたのは,10数年前のこと,外国人夫妻または国際結婚をした日本人を対象とする,ごくプライベートな出産教育クラスの指導者の行動力によります。麻酔分娩が主流のアメリカにおいて,その反動としてうまく女権拡張運動の波に便乗する形で胎動した自然分娩運動は,その当時,草の根運動から脱け出てようやく組織化が軌道に乗ったところでした。アメリカにおいてすら,当時は「進んだ」「物わかりの良い」一部の医療専門家にしか受け入れてもらえなかったのが実情です。
しかし,在京アメリカ女性はグループパワーを戦力に,怖じず憶せず,一部の日本の産科医療体制に迫りました。グループの中心人物は,ASPOの出産教育者のライセンス取得を目指して勉強中の一児の母親でした。精力的に夜は自宅で外国人夫妻向きに出産クラスを開き,出産マニュアルを作成し,依頼があれば妊産婦の味方役として夜間のお産にも付き添いました。他のメンバー3人は,医療にも看護にも関係のない学部出身の大学卒でした。が,日本の施設分娩を体験し,体験者としてのアドバイス役という以上の才覚と情熱があり,他人の出産に関心があるという点では,単なる仕事欲以上の心根の優しさをうかがわせもするヤング・ミセスです。
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