連載 腹帯の歴史・4
外国人からみた本邦の腹帯と腹帯有害論
石黒 達也
1
1滋賀医科大学産科学婦人科学教室
pp.615-617
発行日 1984年7月25日
Published Date 1984/7/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611206488
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外国人からみた腹帯
妊婦の着帯は我が国独自の風習であるが,このことはすでに江戸時代から指摘されていた。江戸中期の延享5(1748)年に刊行された『女中風俗十寸鏡』には「中国には腹帯をするということを聞かない。我が国では,神功皇后のころから今に至るまで伝わっている」と記されている。また,賀川玄悦を祖とする賀川流の『婦人論』には,「腹帯は中国にはない事である。『保産紀要』に産帯とあるのは,我が国の帯とは別のものである。我が国では神功皇后が三韓征伐に出かけた時,胎児が動かないように帯を甲骨の下に締めた。その後,戦に勝って安産されたことから,我が国では祝い事として妊婦の腹帯風習が始まった」とある。
このように,江戸時代でも腹帯の習慣は,神功皇后伝説に由来する本邦独特の風俗と考えられていたのだが,中川忠英が清時代の中国に渡って当時の風俗を見聞した記録『清俗紀聞』によると,「清では婦人が妊娠すると,4か月か5か月目に綿または絹で帯を作り腹に巻く」と記されている。また,井沢長秀の『広益俗説弁』という書にも,「日本では妊娠帯をすることがあり,これを五月帯という。中国には着帯の風習がないというが,『婦人産帯記』には,初産婦は妊娠にまだ慣れておらず,産道も広がっていないので,妊娠4,5か月前後に軟かい絹または綿で腹から背にかけ身体を巻く。これは昼も夜も解かない。
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