カラーグラビア 彩色医療図絵
賀川子玄の面影
石原 明
1
1横浜市立大学医学部
pp.5
発行日 1971年7月1日
Published Date 1971/7/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661917716
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滋賀県の彦根の槍の先生の孫として生れたが、幼い時に父母をなくし、長じて医を学び京都に出たがチャンスに恵まれず、昼は屑拾い、夜はアンマで生計を立てていた。たまたま近くの難産に招かれ、即座の機転で鉗子分娩に成功。これが縁となって賀川流産科を創始し、多くの新しい助産術を考案し、宮中侍医にまで昇進した。胎児の正常位置の確認は世界最初の業績である。安永6年(1777)9月14日に78才の生命をおえたが、子孫は明治にいたるまで宮中の御産に奉仕した。この肖像は75才の時のもので、いまも子孫に譲られている。
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