連載 連載対談(最終回)
産婆から助産婦への変還の中で
原田 静江
1
,
小柳 琴
2
1日本看護協会
2日本看護協会助産婦会
pp.29-31
発行日 1967年9月1日
Published Date 1967/9/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611203453
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日本産婆会の解散
小柳 今日は原田先生の看護協会での活動まず協会創立前・創立当時から伺いましょうか.
原田 昭和20年の10月頃でございましたね.アメリカからオルトさんたちがみえたのは.それでね,日本の看護事業や教育の情況を視察されて,GHQのなかに日本人によって構成された委員会ができました.それが保助看法のおこりです.一番最初にGHQから召集を受けたのが,井上なつえさん,湯槇さん,そして私の3人.法的に一本になれということで,団体はみな解散してもらいたい,日本では助産婦が一番根強くガッチリした会だから,非常に問題がむずかしいが,ぜひ解散して一緒になってもらいたいといわれました.
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