新春座談会
助産婦きのう・きょう・あした
伊藤 隆子
1
,
青柳 かくい
,
笠原 トキ子
2
,
伊藤 セツ子
3
1厚生省医務局看護課
2関東逓信病院
3東大付属助産婦学校
pp.10-19
発行日 1967年1月1日
Published Date 1967/1/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611203322
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司会(伊藤隆子)助産婦は,明治32年に産婆という名称で,制度ができて大正,昭和と長い時代,日本のお産の100%近く,97〜98%まで産婆が取り扱っていた時代をへて,現在に移り変わってきているわけです.その間にそれぞれの仕事のあり方は,地域差あるいは個人差があって,産婆の業務と一口にいっても,現在よりなおかつ妊産婦の保健指導,新生児の保健指導,さらに家族を含めての公衆衛生的な活動をしていらした方がたくさんありました,またそうじゃなくて,ほんとに赤ちゃんを取あげることだけに助産婦の仕事があるという方もありましたし,いろいろ差があったと思うのですが,こういう差をなくして,国民誰もが同じような保護を受けれるようになったのが,戦後の医療とか公衆衛生であろうと思います.
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