--------------------
きのう・きょう・あした
榊原 仟
1
1東京女子医大外科
pp.681
発行日 1966年5月10日
Published Date 1966/5/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1402201307
- 有料閲覧
- 文献概要
×月×日
先日NHKから「一週一話」というような番組があるが,私にも一度話してほしいという依頼があつた。私に与えられた題名は「死と生」というものであつた。私が医者でありしかも心臓外科というような死亡率の低くない領域のことをおもに研究しているものだから,おそらくはそうしたことに深い考えをもつていると判断されたためだろう。ところが考えてみると,そうした問題について私はあまりまとまつた考えをもつていない。関心がないかというとけつしてそうじやないが,あらたまつて聞かれてみるとあやふやな意見しかもつていないことがわかつて愕然とした。今晩その録音があるというのに何を話してよいかわからないのだ。午後から教授会があつたが,その席でぼんやり考えている間に,私には死の問題については論ずる資格がないが,生から死にいたる過程については多少参考になる経験があることに気づき,大略つぎのようなことを録音してもらつた。
人が死ぬときは,その人にとつてはまつたく眠るようなものであろうと私は想像している。たとえば蘇生術を行なつて救いえた患者に聞いてみると,ある時期を境として,その後はまつたく覚えていないという。生きていた間は病気に苦しみがあるが,最後には苦しみから解放されて意識を失うので死の瞬間は苦しくないもののようである。
Copyright © 1966, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.