--------------------
きのう・きょう・あした
本間 日臣
1
1虎の門病院内科
pp.689
発行日 1967年5月10日
Published Date 1967/5/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1402201785
- 有料閲覧
- 文献概要
1966年10月7日
14年ぶりに訪れたBellevueは,かつての活気を失つて廃墟の静けさのなかにあつた。一番街から眺めると,青銅の屋根をいただいたくすんだレンガの古めかしい建築は,EastRiverに面して秋の日ざしのなかにものうげにうずくまつていた。それは周辺の近代的なビルに囲まれて,老婆のように背をまげ,ふたたび戻つてきた私をなつかしんでいるかのようにみえた。正面玄関の右手,右翼の張り出すつけ根の部分にだれもが見おとすような小さなドアがある。このドアを入つて階段をのぼると2階のチェストクリニックの事務室の前に出るはずだつた。玉手箱をひらくような気持でこの小さなドアの見覚えのある真鍮の把手を引いてみた。手のひらに伝わる同じ重さ,それから鉄のらせん階段,2階の廊下へつながる防火ドア,そしてどうだ!往年の事務室とその隣りの図書室。右手にコンファランスルーム,左手にC病室D病室の指標。しかしそこまでだつた。ときが凝結したかに思えたのは。
右心と肺との関係についての人類の知識は1940年までは北国の冬の太陽のように薄暮のなかの低迷をつづけていた。
Copyright © 1967, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.