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きのう・きょう・あした
本間 日臣
1
1虎の門病院呼吸器科
pp.537
発行日 1967年4月10日
Published Date 1967/4/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1402201743
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1966年7月20日
ブーローニュの森公園に出かける。松の木々がまつすぐに高く伸びて樹間を光の矢がはしつている。池畔のベンチに坐つているとマロニエの実がときどき大きな音をたてて落ちる。パリ市街の騒音はここまでこない。乳母車を傍らに主婦らしい婦人が日光のなかであみものをしている。ポケットから9月16日付のニューヨークタイムズヨーロッパ版を出して読む。「医師不足に悩む英国」という記事が出ている。「38歳になる神経外科医が年俸18,000ドルで米国イリノイの某病院に招かれた。数年後この給料は倍増される約束であるが,ロイヤル外科学会員であり,15年の専門家としての経験をもつかれの英国での給料はわずか2,000ポンド(5,600ドル)にすぎない。
しかしかれはこの待遇の差のみで動かされたのではない。かれは英国厚生省のやりかたが信用できなくなつたのである」という書き出しである。英国の青年医師の海外への流出(主として米国へ)は年々増加しており,その原因は,若い医師が給料に比し労働が過重で搾取されていると感じていること,大部分の病院の設備が悪く青年医師をひきつける魅力に乏しいこと,医学の進歩に対応する人的構成や施設の面での改革がないことなどである。その結果として,医師不足の状態のなかで,若い医師のあいだには適当な職がないという矛盾した先入感がびまんしている。
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