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胎児のための産科学—国立福山病院で子宮内胎児輸血に初の成功
金岡 毅
1,2
1国立福山病院産婦人科
2岡山大学産婦人科教室
pp.32-34
発行日 1966年4月1日
Published Date 1966/4/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611203166
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□岡崎ミツエさんの病歴
岡崎ミツエさんが私たちの病院を初めて訪れたのは昭和24年4月24目のことでした.国立福山病院は,広島県東部や岡山県西部のいわば「交換輸血センター」としてある程度有名でしたので,開業医の先生に紹介されて来院したのです.病歴を聞くと,昭和35年妊娠10か月で男児を初産し現在児は健全,昭和37年人工妊娠中絶し,昭和39年第二児を妊娠10か月で娩出しましたが,生下時より児に黄疸があり,重症黄疸のため生後3日目に死亡したとのことでした.初診当時すでに妊娠3か月でしたが,血液型を調べますと妻はccdEEのA型,夫はCCDeeのA型と不適合があり,ミツエさんの血液の中にはアルブミン法で8倍の抗体価が証明されました.このような血液型や血清学的な検査は,血液銀行に依頼さえすれば全国どこでも簡単に検査できるはずになっています.
つまり岡崎さんの場合は夫婦の間にD不適合があり,さらにCやEにも不適合がみられたわけです.この場合CやEは日本人にも相当陰性がありますが,臨床上Dほど問題でなく,D陰性の人は(この場合を通常Rh陰性と呼びますが)日本人では全人口の0.5%といわれ,白人の15%に比し非常に少ないとされています.私たちの病院でも1年に1例程度しかありません.しかし日本全国ではかなりの数のRh陰性の人があるはずで,今度の症例が新聞やテレビに出ますと多数の人から問いあわせの手紙をいただいたことでも証明されます.
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