巻頭随想
痛ましいボリビアの日本人母の死
左 幸子
pp.9
発行日 1966年4月1日
Published Date 1966/4/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611203158
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私が子供のころ,故郷の町に自転車で走りまわっていた助産婦さんがいた.そのころ自転車はまだ数少なかったし,女が自転車を乗りまわすことはとても珍らしかったから,彼女のことは町中で知らぬ人がない程だった.彼女の自転車が風を切って走っていくときは,町のどこかで赤ちゃんが誕生するときなのである.私の家にも妹や弟が生まれる度ごとに彼女がやってくるのだった.小柄でニコニコしていて,そのくせものしずかな人だった.小学5年生頃のこと,何番目かの妹が生まれるというとき,私は赤ちやんの誕生ということに幼い好奇心を持って,彼女が来ている母の産室へ近ずいた.すると陣痛で苦しむ母を力づける彼女の声が聞こえた.それは力強いかけ声のように凛と響いて,思わず息をのむような感動であった.
お産ということは極めて自然で,珍しいことでも驚くべきことでもないのだが,いざ自分が出産するとなると,期待と同時に不安な気持が大きくなって理性が失われがちなものである.そんなとき物慣れた調子で励ましてくれる助産婦さんや看護婦さんの言葉や援助は,途方もない大きさで産婦の不安な心を包んでくれるものなのだった.自分で赤ちゃんを生んでみて,身にしみてそれを感じたが,そうした大事さが案外忘れられがちなようである.
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