わたしの分娩
39歳の高年初産婦
橋本 圭子
pp.42-43
発行日 1965年8月1日
Published Date 1965/8/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611203024
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心電図の結果悪く手術は不可能
学生時代の産科の講義中,高年の初産婦にはなりたくないが,なる可能性はあるなと思っていたところ,いつのまにか39歳でその立場にわが身をおくようになっていた.
産院としては宗教的な意味からも,また技術,設備の点でも評判のよい都内の某病院を選び,定期的に受診.念のため,母親学級も受け,無痛分娩のレコードも購入して準備おさおさ怠りなく,順調に予定日の8月1日を迎えた.もちろん,予定日といってもその前後2週間が実際の予定日なので8月中旬までは生れなくてもあせるまいと覚悟しておいたが,たまたま東京は昨年,何十年来の猛暑.それでなくても暑い身体をもてあまし,産休中にと楽しみにしていた読書どころか,ぼんやり日中を過すのが精一ぱいだった.
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