巻頭随想
母子保健におもう
尾村 偉久
1
1国立世田谷病院
pp.9
発行日 1964年12月1日
Published Date 1964/12/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611202875
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私が読んだ江戸時代の小話に次のようなものがあった.「江戸の下町の小屋に貧しい日雇いの親子が住んでいた.打ちつづく雨の日に,物音さえしないので,町方五人組の代表として家主が訪れると,親子四人死猪のごとくふくれて横たわっていた.驚いて名医の噂さ高い一町医を伴って小屋に到ると,町医は一見して,診断は定まったにつき良き妙薬を処方すべしと立ち帰り,金子百文と玄米一升を渡し,今後両三回町方において繰り返えせば,本復疑いなしと申し告げた.案の定旬日にして回復し,感謝とともに再び町のために勤労につとめるようになった」というような筋であった.推測するに収入皆無からきた栄養失調と脚気のための浮腫におかされていたものであろう.当時は無意識のうちに,かように医療と予防,あるいは原因療法,民生福祉,相互扶助等が素朴な形で行なわれていたものと思われる.
また私が昔地方の衛生技官として農村保健指導に従事していた頃の経験であるが,ある山奥の貧村小部落にトラホームが猖けつを極め,巡回眼診療班を定期的に派遣して診療に努めたが,すぐに元の木阿弥で,感染の悪循環は解決しなかった.ところが,ある年村で開村以来初めての公共建物が完成してその祝賀のために貧乏村ながら各部落民にそれぞれ引出物を贈ることになったが,このトラホーム部落の老区長は,特に申し出て,その部落民一人残らずに各人の姓名入りの手ぬぐい一本づつを贈ってもらった.
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