主張
助産婦の座を守るために
田村 ヒサオ
1
1礼幌市中央保健所
pp.8-11
発行日 1959年2月1日
Published Date 1959/2/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611201617
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私は産婆さんと呼ばれるほうが何となく親しみがもてて好きです.それは助産婦として働く喜びに生甲斐を感じ若き日の感激を職業に打込んで数多くの思い出を残したのが産婆と呼ばれた時代でしたからその頃の呼び名に懐しさを感じるのでしよう.産婆から助産婦に名称が変つた頃こんなことがありました.当時小学生であつた甥が産婆さんを知つていたが助産婦を知らなかつたのでしよう.ある時助産婦の立看板を見て「おばさん,スケサンプつて何のことさ」と聞かれて吹き出したのもひと昔前のことで,今では小学生も年寄りも助産婦の名称を理解しないものはなくなりました.私がこの産婆の看板を立てて初めて開業したのは24才の時でした.いま考えてみるとずいぶん無茶なことをしたものだとさえ思います.
開業する時の主な条件は本人の人格,技術のことは勿論ですが同業者が距離的に適当な配置状況であること,適当な年令に達していること社交性のあることなどが挙げられると思います.それが年若く非社交的でそのうえ家庭の事情もあつて場所を選定することが許されず,大先輩に周囲をかこまれている,などの悪い条件ばかり,丁度八方塞がりのような状態で開業しましたからずいぶん苦労したものです.そのうちにお産家も一軒ずつ殖えて当時16円の自転車を奮発して開業祝に母から買つて貰つた新しい鞄を提げて往診に出かけた時の喜びようは今思い出しても我ながらほほえましい感じがします.
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