社会の動向
自殺の流行と増加
長谷川 泉
1
1医学書院編集部
pp.42-43
発行日 1958年3月1日
Published Date 1958/3/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611201444
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学習院大学生の天城山情死行がジヤーナリズムにさわがれて,学生の自殺というものが世の関心を呼んだ.生きるか,死ぬかといつた生き方の内面的掘り下げに,流行といういわば外面的な表相的なことがらは,本質的にはあまり関係しないように思われるが,事実はそうではない.自殺や情死にも流行ということがあるようである.三原山心中がはやつたり,天城山心中の再版らしきものが行われたりするのは,ただ単に場所だけの問題ではなかろう.かつて藤村操が,人生観上の苦悩から華厳滝に投身してのち,一時青年子女の投身自殺が増加したようなもので,生死ぎりぎりの問題についても,多分に他律的なものによつて刺激を受け,或は行動を触発されることがあると思われる.
天城山心中の最初のケースは,筆者も関係している学習院大学国文学科の2年生で,必ずしも学習院大というものの声名を害うものではなかつたであろう.ジヤーナリズムの扱いも概して慎重であつた.だが,その行為が同じような行動を触発するなかだちとなり,刺激剤となつてくると,ことは簡単ではなくなる.戦後,駅弁大学といつたようなことばはだいぶ流行語となつたおぼえがあるが,心中大学という流行語を生むにいたつては,ただジヤーナリズムのいたずらとのみ言つてはいられないであろう.その病弊は,深いところにあるからである.
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